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2008年7月

ささやかなヨロコビ

ヤマダ電機の出入り口に
ポイントカードの機械がありますよね
カードを挿入するとスロットみたいなのが
回転してポイントを獲得できるというアレ
なかなかいい点数が出なくて
これって高得点とか出んの?
そんな感じだったんですが
この1ヶ月ちょっとの間で
200点が2回
500点が1回出ました
金額にして900円です
これは大きいです
ウレシーです

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悲しい気持ち

先日、野茂英雄が引退表明をしました

1989年のドラフト会議で衝撃が走りました
史上最多の8球団の競合で指名され
契約金は史上初の1億円突破の1億2千万円です
実は僕は野茂のことをあまりよく知らなくて
ドラフト前の話題の選手みたいな特集番組で知っただけで
どれほどの実績の持ち主か知らなかったのです
高校時代なんて無名でしたしね

この年のドラフトは史上まれに見る当たり年で
野茂ほどではないけど話題の的であった元木大介
元木はダイエーの1位指名を蹴って野球浪人し話題に
他にも古田敦也、佐々木主浩、与田剛、佐々岡真司
新庄剛志、潮崎哲也、小宮山悟、前田智徳、岩本勉
石井浩郎、パンチ佐藤、種田仁など
すんげえメンバーです

あの独特なフォームはかなり印象的
僕の記憶が正しければ
昭和60年のセンバツ大会で
西条高校のエースとして活躍した黒子に匹敵する
黒子のフォームは野茂よりもすごく
上半身が完全にバックスクリーンに向くのです
見ていて気持ち悪いほどです
そこまでのフォームじゃないけどかなり特徴的です

この超話題のルーキーはシーズンが開幕してもすごかった
投げればとにかく三振の山です
初勝利の試合では17奪三振の当時の日本記録です
僕も実際北九州市民球場でナマノモを見ましたが
ライトスタンドからでもその剛球に舌を巻くほど
三振のことをスコアブックに記入する際に
『K』と記入するのは有名な話ですが
野茂のようにあれだけ三振の山を築くことの形容で
当時『ミスターK』と言ってたんですが
『ミスターK』とはアメリカでは三振する打者のことで
三振を奪う人のことは『ドクターK』と言うらしい
と、当時多くの人が誤解してたことをニュースで言っており
『ドクターK』という言葉が定着した

とにかく野茂の三振数はハンパじゃない
1年目のルーキーイヤーは287奪三振
これだけ見るとたいしたことないように思えますが
昔のように先発投手が60試合も70試合も投げず
せいぜいシーズン30試合の先発ですから
シーズン200奪三振もすればすごいことなんです
シーズン401奪三振の日本記録の持ち主である
江夏豊ですが401奪三振をとったときのシーズンの
奪三振率は10.97なんですね
唯一シーズン奪三振率が2桁を超えてる記録です
つまり、1試合あたりの奪三振が約11ですよ
で、野茂はこの年の奪三振率が10.99で史上最高率です
平均で11個の三振を奪ってるというありえないような事実
また、この年の野茂はシーズン2桁奪三振の試合数が
2桁を超えたのです
ってややこしい表現ですが
1試合当たり10個以上の三振を奪った試合が
10試合以上もあるという素晴らしい記録で
何試合だったかは僕も記憶に残ってないし
データがないのでわかりませんがこれも日本記録かも
ちなみにこの年の登板数は29試合です

そしてこの年の野茂は
最多勝、最多奪三振、最優秀防御率、最高勝率と
投手部門の四冠王を達成し
新人王、シーズンMVP、沢村賞とトリプル受賞したのは
あとにも先にも野茂のみ
史上最高の新人投手でした
そして野茂はこの年から4年連続で最多勝を獲るのです
5年目のシーズンはケガのため8勝でしたが
6年目以降も最多勝を獲り
日本記録を塗り替えるだろうと期待していました
というのも
最多勝は6度のスタルヒン、5度の斎藤雅樹についで
3番目の記録です
5シーズンの実働で4度最多勝ですから
充分にその可能性はあります

ところが、5年目のシーズンを終えたあとに
球界に衝撃が走りました
球団に複数年契約と代理人制度を希望したが
拒否されたため近鉄を退団して任意引退扱いで
メジャーに挑戦するというのです
当時、日本球界とメジャーはまだまだ開きがあるというのが
世間一般の常識で
プロ野球界でもそう思われてました
毎年のように日米親善野球は開催されてましたが
時差ボケのメジャー集団にいいようにしてやられる
パワーの違いを見せ付けられるばかり
野茂はメジャーでは通用しない
日本人にはまだまだメジャーの壁は厚い
ほとんどの人がそう思ってました
ところがシーズンが開幕してからほどなく
マイナーからメジャーに昇格し
先発として投げ勝利する
日本は沸きましたね
日本の選手はメジャーに通用するんだ
今までの概念を覆しました

ドジャース1年目のシーズンでは
13勝で新人王に輝きました
ちなみに日米で新人王を獲得したのも野茂のみです
勝利数もさることながらやはり三振数がすごい
奪三振率が11.10と1試合平均奪三振が11を超えたのです
これは大事件です
アメリカの地でも野茂は『ドクターK』の称号を得たのです

この野茂の活躍によって
多くのの日本人がメジャーを目指すようになったのです
いや、目指せるようになったのです
現在メジャーで活躍している選手は10名を超えています
日本のトッププレイヤーは世界でも通用することが証明されたのです
まあ、世界でも通用している成績の選手は
ごく一部ですけどね
それでも、10数年前から比べれば夢のような出来事です
今後も日本人選手がもっとメジャーに挑戦し
世界を舞台に活躍するでしょう
野茂があの年メジャーに挑戦しなければ
今のこの流れはなかったかも

ちなみに野茂の日米での通算奪三振は3119
生涯の奪三振率は9.28
日本だけに限っていえば10.31
こんな選手もう現れないぞ

悔しいだろうけどお疲れ様でした
僕も悔しいです
あのトルネードを見れないのは

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忘れられない夏

忘れられない夏がある

昭和59年8月21日に
市内の専門店街のとある広場に僕はいました
アイドル歌手としてデビューした同級生の凱旋イベントがあり
親衛隊として名を連ねていた僕は
彼女の応援のためにその場所にいたのです

その日のその場所は多くの人でごった返していました
彼女を一目見ようと集まったのではなく
多くの人はその広場にあるテレビに釘付けだったのです
テレビに映っていたのは
全国高等学校野球選手権大会決勝戦
PL学園対取手二高

高校野球大好きヤロウの僕としては
彼女を応援してるフリをしながら視線は左横に
決勝戦で、僕は取手二高を応援してたんですよね
その取手が4-1でリードして優勝かと思われたんですが
9回裏に同点に追いつかれ延長戦に突入
PLといえば『逆転のPL』と呼ばれており
追いついてからの攻撃は計り知れないものがある
よって、延長戦に突入した時点で
取手二高の負けを確信したんですよ
ところが信じられないことに10回オモテに一挙4点を入れ突き放し
そのまま逃げ切って初優勝
取手二高の木内監督はその後、常総学院で指揮を取り
常総学院でも優勝を成し遂げてます
延長戦に入ってからの僕は
もはや彼女のイベントどころではない
彼女が歌ってる横でやんややんやの大騒ぎ

当時のPL学園は高校野球史上最強のチーム
と言っても過言ではありません
桑田、清原のKKコンビが在籍した5季のうち
優勝2回、決勝戦敗退2回、準決勝敗退1回と
5回のうち4回も決勝戦に進んでるのです
そんな最強の駆逐艦を撃破した取手二高
水色に漢字で『取手二』の文字が鮮やかに浮き上がってた

実は僕はその年のセンバツ大会のときから
取手二高に注目し心奪われていたから
夏の優勝はとびきりでした
そのときのエース石田文樹氏の快投が
今でも鮮明に甦ってきます

忘れられない夏がそこにある
今もなお僕の中に生き続けている
青春の想い出

先日の彼の訃報はとても悲しく絶句でした
ご冥福をお祈りします

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サザンライブ

8月16日にサザンライブに行ってきます

今年デビュー30周年という節目の年
そんなわけで当然大規模な全国ツアーがあるだろうと
福岡のヤフージャパンドームには2DAYSと予想
当然2日とも参戦し
余裕があれば大阪の京セラドーム参戦も視野に
けれども
30周年記念ライブは
8月16日17日23日24日の4DAYSのみで
横浜の日産スタジアムのみ
これってめっちゃ障害

とりあえずチケット応募
会場の収容人数のキャパシティが7万5千人とはいえ
記念ライブが4日間しかないので
競争率が高くなるのは必至
しかもチケットは1公演3枚までしか権利がない

で、結果なんすけども8月16日が3枚当選
ライブに行くメンバーも決まりました
今回はジョシがいなくてヤローばっかなんすけど
僕が最大限に尊敬している先輩方2名と一緒です
サイコーの仲間と行動を共にでき楽しくなりそうです

当日は北九州市の小倉駅からの新幹線で出発
新幹線の往復と川崎市内のビジネスホテル宿泊で
31500円という格安料金
翌日は横浜中華街をぶらついてくる予定

さきほども3年前のサザンライブのDVDを観て
気持ちを高めました
いまからライブに向けてどんどん高めていかなきゃ

その前に8月14日15日は子ども会キャンプ
まずはそっちの方にも力を注がなきゃ

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